花屋さんではナシの花を売ってはいない。ナシと聞くと、ほとんどの人は実を連想する。
では、ウメやモモは?
花を思う人もあれば、実を思う人もある。ウメがきれいね、モモが咲いたね、というと花のことを言ってると分かる。ウメはすっぱい、モモは甘くて美味しい、というと実のことを言っていると分かる。ひとつの名で花も実も表すコスパの高い名だ。
サクラは日本では特別待遇の花木で、花にはサクラ、実にはサクランボと言う独立した名前がある。
ナシの花を指すときは、必ず「ナシの花」と言わなければ伝わらない。日本のナシ文化はナシの実文化だ。
花の句集と言われる万葉集。なんと、ナシの花の歌は一句も載っていない。ウメサクラ、モモとは大違いだ。
古く飛鳥時代。持統天皇が694年に出した詔(みことのり)にナシが登場する。
五穀を助ける食物として、クワやクリやカブなどに加えてナシ(実)を植えるように勧めたものだ。ナシは腹ごなしのために育てられてきたことがよくわかる。
ところが、日本文化に大きな影響を与えた中国ではどうだろう。
唐の時代の大詩人、白居易の「長恨歌」に、梨の花を楊貴妃が玄宗皇帝を想って涙を流すさまを、ナシの花に降る雨にたとえて詠んだ叙情豊かな漢詩がある。
白居易は、平安時代の紫式部(註1)や、清少納言(註2)に多大な影響を与えているほどの漢詩人だ。それでも、日本ではナシは実であり、花ではなかった。
ナシの花文化は、日本では育たなかったのだ。
西欧諸国に目を向けてみよう。
ヨーロッパの国々では、ナシの花街道や、ナシの花の街が普通に存在する。
アメリカでも、ナシの花は公園などによく植えられている。ニューヨークのマンハッタン通りの街路樹がナシの木であることは知る人ぞ知る話だ。
ナシの花を日本の花文化に復権させよう。
(註1) 源氏物語の「桐壺の巻」のほとんど全編にわたって「長恨歌」から材を得ている。
(註2) 清少納言は「木の花は」で、梨の花を取り上げている。当時の梨の花への低評価に対して、白居易が梨の花を高貴な花の代表にしていることを対比して感想を述べている。
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